Wayne Rainey

年度 主な戦績
1982 AMAスーパーバイク (11戦中1勝 ランキング3位 )カワサキ
1983 AMAスーパーバイク (14戦中6勝 チャンピオン )カワサキ
1984 WGP250クラス フル参戦(12戦未勝利 最高3位 ランキング8位)ヤマハ
1985 AMA ダートトラック・F1クラス等参戦(資料無し)
1986 AMAスーパーバイク(9戦中6勝 ランキング2位)ホンダ
1987 AMAスーパーバイク(9戦中3勝チャンピオン)ホンダ
1888 WGP500クラス フル参戦開始(1勝 ランキング3位) 鈴鹿8h(優勝)ヤマハ
1989 WGP(3勝 1ボイコット ランキング2位)ヤマハ
1990 WGP(15戦中7勝 初チャンピオン獲得)ヤマハ
1991 WGP(15戦中6勝 V2)ヤマハ
1992 WGP(13戦中3勝 V3)ヤマハ
1993 WGP(14戦中4勝 2欠場 ランキング2位 Rd.12イタリアGPで転倒。以後欠場する。)ヤマハ
1994
〜98
'93年の転倒で半身不随に・・・。しかし、WGPにチームレイニーの監督として出場。
1998年途中に引退発表。WGPより去る。

 

天才と呼ばれたライダーは多く居るが、レイニーはその中でも一際光る存在ではなかろうか。

レイニーは他の天才と呼ばれたライダーとは違い、礼儀正しく フレンドリーな性格だったと言う。

若かりし頃は負けん気の強い性格が表に出すぎていたのか、
AMA時代にカメラに対しFu○kサインを向けている事も有ったが
WGPの頃はマスコミ受けも良く、落ちついていて『王者の風格』を感じる。
(ヤマハ、ホンダで天才と呼ばれた他のライダーは、性格が悪いとまでは行かない(?)ものの、気分屋、激情家と言われる事が多かった。)

もちろん、そのライディングには光るものが有る。あと1歩でチャンピオンが取れなかった89年の後、
的確な状況判断と正確なマシンコントロールで3年連続チャンピオンを得る。

ライバルのシュワンツに比べると決して派手ではないが、常にチャンピオンシップを意識した戦いが印象的だった。
先行逃げ切りの『レイニーパターン』を『スタートの悪いシュワンツ』のファンは本当に羨ましく思ったもんです。

93年の転倒がなければ、間違いなくそれ以降もシュワンツとチャンピオンシップを争っていただけに
本当に残念です。事故の次戦、Rd.13のUSGPではレイニーの復帰を願い、『WAYNE WISH YOU WERE HERE』の
プレートを前に レース前の撮影をしている。
 
自らの不幸にも負けず、翌年には監督としてWGPに復帰した不屈の闘志には敬服します。

『例え最終的にどういう結果が待ち受けていようとも、また同じ道をたどる。
結果が同じであったとしても、だ。この先に何が待ち受けているかなど全くわからないのだから・・・。
だから、自分の目標に向かって毎日BESTを尽くす事が出来れば良いんだ。
ボクの息子にもそうやって生きていって欲しい。
そして、最後に自分のやって来た事を振り返ってBESTを尽くせたと思えれば良い。
僕も今、そうやって生きているんだ』
彼のビデオで最後にこう語ってます。正に It's my life !

 

スタンダードで華麗なライディングフォームは今でも俺の理想形です。

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