原田 哲也
| 年度 | 主な戦績 |
| 1989 | 全日本R.R国際A級250c.cクラス、デビュー、ランキング4位 |
| 1990 | 全日本R.R I.A250 ランキング2位 WGPデビュー Rd.1日本、予選15位 決勝7位 |
| 1991 | 全日本R.R I.A250 ランキング2位 WGPRd.1日本、予選3位 決勝6位 |
| 1992 | 全日本R.R I.A250 チャンピオン WGPRd.1日本、予選2位 決勝リタイヤ |
| 1993 | WGP 250クラス フル参戦開始 チャンピオン獲得 |
| 1994 | WGP 250クラス ランキング7位 |
| 1995 | WGP 250クラス ランキング2位 |
| 1996 | WGP 250クラス ランキング8位 |
| 1997 | WGP 250クラス ランキング3位〔この年からアプリリアに移籍〕 |
| 1998 | WGP 250クラス ランキング3位 |
| 1999 | WGP 500クラス参戦 ランキング10位(1P.P.、3位表彰台2回) |
| 2000 | WGP 500クラス参戦 ランキング16位 |
| 2001 | WGP 250クラス ランキング2位 |
原田といえば、ネスカフェカラーで全日本を戦ってたとき、ホンダの岡田との対決が面白かったですネ。
90年、91年と、岡田がチャンピオンを獲得、92年のシーズン途中に岡田が93年からのWGPフル参戦を発表し、
92年にやっと岡田を破ってチャンピオンを獲得、93年のWGP参戦をもぎ取った。
そしてWGPフル参戦1年目、初戦オーストラリアのコシンスキーとのマッチレースを制したのを皮切りに、
最終戦で、逆転チャンピオン獲得の快挙を成し遂げた。
その年のスペインGP ヘレスサーキットで親友の若井選手がピットでの事故で亡くなり、
この年は、彼にとってきっと忘れられない年になったんではなかろうかと思います。
1999年、アプリリアから500クラスにフル参戦し、彼の開発能力とライディングで全く実績の無いマシンを
2度の表彰台とポールポジション獲得、予想外の活躍をしました。
2000年の500クラス参戦は散々な結果のなってしまったが、
2001年は250でHONDAの加藤選手との激しいタイトル争いの末2位。
2002年はHONDAからMotoGP(500ccクラス)参戦です。
加藤と同じNSRでどんな勝負を見せてくれるのか、楽しみです。
20世紀の最終年、2000年・500クラス参戦について・・・
岡田選手等、日本人とのチャンピオン争いが近い将来見たいものだ。
・・・と、期待していたのだが、アプリリア500での2年目の結果は散々だった。
原田の契約は3年だったのに、2年目の途中でで500クラスの参戦中止決定・・・
『4気筒にすれば・・・』と思うバカファンや、甘い考えを持ったイタリアのメーカーは全くレースってモノを解ってない。
ホンダ、ヤマハ、スズキの日本メーカーは何年かかって4気筒のマシンを開発しているのでしょうか?
それをほんの数年開発したマシンで勝てるわけが無い。レースをバカにしてると思う。
一部(?)のファンは、マスコミに釣られて4気筒を・・・と言うが、ハナシにならない。
そりゃ日本のメーカーのコピーエンジンを作れば熟成も早いかも知れないが、そんなコトにイミは無い。
ま、250や125だって自社エンジンじゃないし、レプリカに至っては日本メーカーのエンジンを載せる程度の会社だから、本当にやっててもオカシくなかったケド。
メーカーとしての色、ポリシーが詰まったV2マシンを時間をかけて
勝てるマシンにする原田が見たかったのに、本当に残念。
1年目にP.P.や表彰台を取ったばかりにメーカーもファンも甘い夢を見てしまったんだろうか?
2気筒でも絶対に勝てるマシンは作れたはずなのに・・・